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都道府県バトル

マイルを集めて台湾へ行くのに、なぜ会津若松の話なのかというと、そもそも台湾に伝えられ今も残っている日本精神と言われる武士道の源は会津藩の武士道にあるのではないか、という仮定をしているからである。

ということで引き続きこちらの本を読み進めている。

会津武士道

会津武士道

が、まあ、なんともこの戊辰戦争前後の歴史というのは、都道府県バトルという様相である。

戦国時代の信長とか秀吉とかのあの時代も戦いではあるんだが、あんまり、都道府県レベルで戦ってるという感じはしない。

それがもう明確に会津VS山口、とか会津VS福井、って感じなのだ。

例えば

会津藩戊辰戦争に敗れて藩士や家族が死屍累々となっていたとき、半年以上も遺体の収容を許さなかったのは、官軍として会津入りしていた福井藩士久保村文四郎でした。飯盛山の白虎隊十九士の遺体の一部を埋葬した人に対して、「無断で埋葬するとは何事だ。死体をもう一回掘り起こして、飯盛山に捨ててこい」とまで言ったのはこの人物です。

こういうのを読むと会津の人は福井の人に会ったらどう思うんだろう?って思っちゃいますよね。

他にも、長州出身の陸軍中将兼内務大臣山縣有朋が、会津出身者はどんなに功績を立てても大佐までしか昇進させない方針を採っていた、とか。

靖国神社が創設されてからも会津藩の戦死者は差別され、合祀されたのは明治時代末になってから。

一方の長州藩は御所に向けて発砲したにもかかわらず、早くから靖国神社に祀られている。

あの靖国神社の入り口にどーん、と銅像がそびえている大村益次郎という人も長州藩で長崎の武器商人グラバーからゲベール銃やミニエー銃を大量に仕入れた人物。

会津の人が山口県出身者と出会ったら殴り合いの喧嘩になるのではなかろうかと心配してしまうくらいだが、実際どうなんだろう。

それにしても誇り高い。

会津藩