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会津藩VS長州藩 (読書メモ)

台湾に残る「日本精神」というところから始まって、武士道、会津藩、そして長州藩との怨恨、というところまで来ている訳だが、会津の方はだいたい分かったので一方の長州藩がどうだったのか、ということを概論的に読める本を探しているんだが、なかなか良いのが見つからない。

仕方ないのでこちらを読んでみた。

会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書)

会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書)

作者の星 亮一さんは仙台出身で元々は会津寄りだった人だが今は和解すべき、という立場になったという。

(近年の会津若松市長と萩市長の攻防についてもふれられているので一読の価値あり)

なので比較的客観的に書かれていると思いたいが、どうか。

長州藩だけれども、印象としては血気盛んな若い人たちの暴走って感じですよね。

中学生の部活で、隣の中学との練習試合でカッコつけた生意気なやつがいる、とかそういう展開になると俄然盛り上がって、テメェらにはぜってえ負けねえ、みたいなそういうノリになるじゃないですか。

一貫してそういう感じですよね、長州藩って。

この本の結論としては会津VS長州は引き分け。

会津の人は長州が攻めてきて人を殺し略奪したと思っているが、長州は長岡藩に足止めをくらって会津に入れず、実際は薩摩と土佐が攻めたという事実。

略奪したのは薩摩藩

長州よりも薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬、と勝海舟の方がたちが悪い気がする。

しかし鶴ヶ城は強かったんだってよお。

と、あらためて思ったが、新撰組の話ってのは盛り上がるね。

amazonで検索するともう新撰組ってのはすごい人気な訳で。

こういう観光ガイドも出てるし。

もう行くしかないよね。

それにしても、西日本の人間が会津の人々のことを東夷とよんで野蛮人とみなし、征伐されて当然と思っている(た)という話には愕然とさせられた。

口には出さなくても今でもそういう意識はあるんだろうな、つまり。